それはデマ。『紙類は不足』のウワサ

デマですと書かれた、ドラッグストアの張り紙。

近所のドラッグストアから、紙製品が完全に消えてしまいました。

トイレットペーパー、箱ティッシュ、そしてキッチンペーパー。

これらが『なくなる!』と大騒ぎになったのが2月28日のことでした。

あれから3日目で、商品の棚はスッカラカンに。

なんということだ。
なにもナイ。

そして、この影響は、赤ちゃん用のオムツ、女性の生理用ナプキンにも。

もう一店舗のドラッグストアでは、若いご夫婦が赤ちゃん用のオムツを両手いっぱいに買っていきました。

横を見ると、若い女性が生理用ナプキン売り場で、立ったまま動かない。

買うか買わないか、迷っている様子。

生理用ナプキンはどうなるの?

わたしは、ナプキンはなくならないと思うんだけど、アレって不織布だから、マスクの原材料とかぶるよね。

それってどうなんだろう。

しかも中身は、高分子吸収体っていう素材でできている。

それって、日本がコロナで鎖国になっても、なくならないのだろうか。

大丈夫なの?ずっとあるの?
原材料が外国から入手不可能になりました。

『明日から紙ナプキンありません』とかに、なったりしないよね。

考えれば考えるほど、不安。

ナプキン売り場で考え込むの、すごくよくわかる。

わたしは、昨年、閉経しちゃったからアレだけれど、若い女性は大変だと思うよ。

『布ナプキン』の練習をするチャンス到来

じつは生理用ナプキンって、お店に売ってる『紙ナプキン』だけではない。

『布ナプキン』っていうのがあるのだ。

布ってことは、使い捨てではない。

洗って、乾かして、使う。

洗って、乾かして使うのだ。

だからちょっと、チャレンジ精神が必要なんだけれど、まあ慣れてくると、大丈夫だったりする。

それを今回、心配なかたは、練習してみるのもヨイかもしれない。

東日本大震災でわかったこと

11年前の3月11日、東日本大震災が起きた。

そこでとても苦労したのが、東北の女性たちで、『生理用ナプキンが足りない』と、ここ九州でも、何度も何度も報道された。

わたしたちは、ドラッグストアにたくさん並んでいる生理用ナプキンを自費で買い、県や市町村の窓口へ、何度も運んだ。

持って行っても、持って行っても、『足りない女性がいて、苦しんでいる』と報道され、無力感に、とても心が痛んだのを覚えている。

なにか危機がきたときに、『水不足で洗濯できない』状況になるのかはわからないんだけれど、『できること』をひとつ知っていると、とてもラクに暮らせるのではないかとわたしは思う。

今回の『布ナプキン』は、『紙ナプキン』に慣れたわたしたちには、ちょっと敷居が高いんだけれど、やってみると、まあ、できたりする。

あらかじめ、ちょっとだけ経験しておくということは、『自分にできること』が増える。

だから、なんらかの危機に陥ったときに、手段を選べる自分でいられるのだ。

どうしたらいいのか手段を考えることができる。
『手段を知っている』ということは、自分を守る安心にもつながると思っている。

日本で最初の紙ナプキン

『布ナプキンなんて・・・』と、悲しい気持ちになったら、ふと思いをめぐらせ、平安時代の女性は、生理ってどうしてたんだろうと考えてみてはいかがだろうか。

『紙ナプキン』がなかった時代の女性にも『生理』はあったのだ。

彼女たちは、どうやっていたんだろう。

どうやってすごしていたのだろう。

『ふだんはキュッとしていて、おトイレの時に出していたのです。当時は3日くらいで済んでいたのですよ』とか書いている古い書物を、どこかで読んだことがある。

え?そんなことできるんですか!?

わたしにも、できるんでしょうか。ソレ。と思ったものです。

平安時代のヒトに聞くことは、もうできないから、とりあえず、今、生きている中で一番年数と経験を重ねている、身近にいるおばあちゃんに聞いてみると、何かヒントをもらえるかもしれません。

日本で最初の生理用紙ナプキンは1961年(昭和36年)に登場しました。

じゃあ、それ以前の女性たちはどうしていたのでしょうか?ということです。

そう考えてみると、なぜ紙ナプキンがなくなると困るのか。

おばあちゃんも、ひいおばあちゃんも、こなしてきたのに、どうしてわたしにはできないのでしょうか。

不思議です。

女性の悩みって、やさしいおばあちゃんに聞いたら、どうにかなりそうだと思いませんか。

既製品をお金で買って、使い捨てる暮らしがフツウだったわたしたちは、それらを自分の手で作り、どうにかすることを知らないのです。

マスクもそうです。

使い捨てマスクは1973年に日本に登場し、花粉症の流行とともに1980年代から、少しずつ知られるようになりました。

わたしが使い捨てマスクを知ったのは、20歳のころ。
自分が花粉症を発症した1994年です。

そのころは、使い捨ての立体マスクは存在しておらず、2000年に入ってから新製品として登場しました。

わたしたちが、『なくなったら生活できない!』と、あわてているのは、ここ数十年で登場したモノなのですね。

ああそうか。なくても生きていける。
だって、先人たちの時代には、それらはこの世の中に、なかったのだから。

大丈夫。おちつけ。
あわてなくても大丈夫。

キレイな水がおうちにあれば、洗濯ができる。

体が汚れても、シャワーがあればいいじゃないか。
近くにお風呂があればいいじゃないか。

日本のおトイレも、清潔で高機能なものが増えました。

清潔を保てるならば、このコロナ時代、たいていのことは、どうにかなるのではとわたしは思います。

箱ティッシュも、トイレットペーパーも、もうそのくらいにしときましょうよ。

ぜんぶ、デマだったのです。

わたしたちは、自分の頭で考え、目や手などを使って、いろんなモノを作ることができるし、自分でできることがもっとあるのです。

これまでは、便利なモノをどんどん買って、使い捨ててきましたので、それがピンとこないだけです。

いまは、『できる自分』に、気がついていないだけなのです。

それが今回、わたしがコロナのデマで気づいたことなのでした。

健やかな1日でありますように

きょうも、みなさまのおかげで、無事一日を過ごすことができました。
ありがとうございます。

明日もすこやかな1日でありますように。

それではまた!