『太る』と『心がすさぶ』のはナゼか?デブだったわたしがヤセてみてわかったこと。

空の写真

今年42歳のわたし。現在の身長は160cm、体重は51kgです。

がしかし、過去は最大で『20kg』も太っていた時期があるのでした。

身長160cmで、体重が71kg。

当時は、イスやおトイレから立つときに『よっこらしょー!』となっていました。

ヒザが痛かったので、『ヒザが痛くなる病気になってしまったのかしら!?』と思って病院へ行ったりもしました。

すると、『太りすぎ』で、ヒザに負担がかかってるんですよとお医者さんに言われ、恥ずかしいやら、情けないやらで、びみょうな気持ちになったものでした。

「喪服が入らない」という悪夢

わたしの体重は、母や祖母から『23歳までに結婚しろ』『25歳までに・・・』『26歳までに・・・』と年々強くなる、激しいプレッシャーのなか、27歳の時になんとか結婚できたという安堵感と油断からか、結婚と同時に、じわじわと増量し始めたのでした。

そしてさらに、30歳を超えたあたりからは、オバハンになっても『まあ、ええじゃないか』という開き直りからか、毎年コンスタントに『プラス3kg以上』増えるようになったのでした。

そして、アレは忘れもしない36歳、夏の日。

お通夜へ出かけるため、しばらく保管していたワンピース型の『喪服』をクローゼットから取り出しました。

そして着替え始めたところ、想定外のとんでもないことが。

えっ!?ナニコレ!『喪服がちぢんでる!?』

そうです。わたしは喪服が『ちぢんで、小さくなっている』と思ったのです。

信じられません。

こんなことってあるのかしらと思い、じろじろ、じろじろ、喪服を見まわしました。
喪服には異常がないようね・・・とういうことは

そして、恐るおそる、鏡にうつる自分の全身像を見た時、この世のものとは思えない、自分の醜い姿が。

ぎゃー!

ビックリしました。

喪服は『ちぢんだ』のではなく、わたしが恐ろしいほどの『デブ』になっていたのでした。

スラっとした、美しいブラックのワンピース。

それがとにかく『腹』にピタッと詰まっているのです。

ぶよぶよのお腹にかさばっていて、どーんどーんと『黒い鏡餅』になっているのです。

わたしはガクゼンとしました。

『ボンレスハム』というのは、このことかと。背中のチャックが上がらないまま、ボーゼンと立ち尽くしたのでした。

『ふっ』と息を止めて、腹を引っ込めてみましたが、どうしようもありませんでした。

胸や腹の骨まで太くなったんじゃないかというくらい、わたしは直径が太いままでした。

どーしよう。お通夜に着ていく服がない!!

わたしは泣きました。

喪服が入らない自分。

体重は、日ごろの積み重ねの結果でした。今日、この瞬間、マズイことになったと20キロ、いや1キロすらヤセたくても、それはかなわないのです。

体重は月日とともに、少しずつ、少しずつしか減らせないのです。

黒いワンピースで太いボンレスハムになってしまった自分。

今からダイエットしても、今夜の通夜には間に合わない。そんな、どうしようもない自分が情けなく、そしてそんなにまで太っていたのに、ずっと放置していた自分が、とても愚かに思え、ミジメで悲しくなったのでした。

そしてわたしは、愚かなじぶんにイライラしはじめ、それをダンナに八つ当たりしてしまったのでした。

『わたし、お通夜には行けないからっ!!!』

えええええーーーんっ!

太りすぎて喪服が入らないのは、ダンナのせいですか?

違います。それはぜんぶ、自分がやらかしたことです。

ひとのせいにするなんて、どうしようもない自分だったと、今はとても反省しています。

太りすぎると『自分嫌い』になる。

太りすぎたため、お通夜に着ていく喪服がなく、お通夜・葬儀に参加できなくなったという、とんでもない失敗は、わたしにとってとても情けなく、ミジメで恥ずかしい経験でした。

そこでわたしは、このことをキッカケに、まともな体形になろう!いつでも喪服を着れる体形になろう!『ヤセるゾ!』と決心したのでした。

もう二度と、『服』のことで悩みたくない!

こんな『醜い自分』のままでいたくない。

そう、つよくつよく、思ったからでした。

振り返ると、『デブ』なころは、『ステキな服』を見つけても、自分には絶対に着ることのできない、遠くから『ただ見つめるだけ』のモノでした。

デブなわたしはデザインそっちのけで、『入る』か?『入らない』か?なのです。

わたしが選べるのは『L』『LL』サイズ。そこからしか選べない。

それでも入らない場合は、『O』というサイズのものを、泣く泣く手に取ってみたこともありました。

そして試着。

なにをどう試着してみても、ダブっとしていて、腹が出ているのです。太ももも、おしりもパツパツで、恐ろしいほど太い。

鏡にうつるわたしの姿は、コッケイでした。妊娠していないのに、どーんと腹が出ているのです。

「好きな洋服を着ることができない」というのは、とてもミジメな体験でした。

サイズを重視して、ダサいデザインの洋服を着るしかない自分。

あーあ、わたしはコレしか入らないから、このダサい『コレ』にするしかないのだと。

すると、わたしの心の中に『悲しい気持ち』が芽生えました。

『好きではない服』を着ているから、わたしは、『この姿を、人には見られたくない』と思うようになりました。

そして、そんな自分のことを、どんどん『キライ』になっていったのです。

太ると『被害妄想』から『浪費』する

あるとき、『太ったから、暑くなっちゃった~』と言っている、スリムな女性同士の会話が
耳に入りました。

太っているわたしはソレを、『わたしに対する嫌がらせだ』『ひどいイヤミだ!』と受け取ったのでした。

『太っちゃった~』とか、『ごはんもう食べれない~。おなかいっぱーい』とか、そんな会話を耳にするたび、『わたしのことを、デブで食い過ぎって思っているんでしょっ!!』と心の中で感じるようになったのです。

それは、とても疲れる日々でした。

まいにち、体重や体形のことが気になってばかりでした。

あーイヤだな。またイヤなことを言われてしまったと、頭の中ではそんなことばかり、考えるようになったのです。

そして気がつくとわたしは、たくさんの『服を買う』ようになっていたのでした。

地元のお店で売っている服は、『大きいサイズ』だとどうしても『オバサンデザイン』のものばかり。

そこで、ネットや通販のカタログで、お尻の隠れる『入りそうな』好みのデザインのものを、どんどん買ったのでした。

でも、届いたものを着ても、やっぱり鏡にうつるわたしは、『デブ』に変わりなくて、何を着ても、『好きな自分』にはなれなかったのでした。

わたしがそのころ『お金を貯めることができなかった』のは、根本的に、『心の問題』があったからだと考えています。

心が『すさんでいた』からだと思っています。

毎日がハッピーなら、お金は貯まる

自分が好きな服を着て、心からごきげんな毎日を過ごしていれば、好きな服を着てニコニコしている誰かにイライラすることもないでしょう。

楽しそうにしている誰かを、うとましく、ねたましく思うこともないでしょう。

だって、わたしもお気に入りの洋服を着て、ごきげんだからです。誰かがニコニコしてご機嫌だったら、『あーら、よかったね~』となるのです。

それが、太った『気に入らない自分』だったらどうでしょうか。
ダサイ服しか入らないので、しかたなく着ています。

こんなダサイわたしを、きっと周りの人たちは、ヘンな目で見ているだろうと思っています。
だから、こんなに太ったダサイ自分を、誰にも見られたくないのです。

そんな不機嫌なわたしは、わたし自身がキライなので、『いろんなモノ』でわたしをおおい隠す必要があるのです。

『気に入らない自分』をいろんなもので、おおい隠すためには、服やバッグや時計がいくつあっても足りません。

家や車や宝石があっても、他の人よりも、もっといいものでないとダメだとか、思うでしょう。

隣の芝生は青く見え、買っても買っても足りません。
むなしい気持ちだけが残ります。

なぜだろう。こんなに買っているのに、心は満たされないのです。

自分を大切にする

では、どうしたら、自分で自分を気に入ることができるのでしょうか。

それは『嫌いなじぶん』をやめることだと、わたしは思います。

たとえば、部屋が汚く、ひとに部屋を見られたくないのであれば、部屋をきれいに『整理整頓』することから始めるのです。

わたしのように、太りすぎているならば、『水を飲むだけでも太る』といつまでも言いワケするのを、とりあえずやめてみる。

ほんとうに、『水を飲むだけでも太る』のであれば、カラダの病気かもしれませんので、病院に行ってみるのが、『自分を大切にすること』なのです。

わたしのことを『太ってるって言ってるでしょう!』と言って、他人の言動にもやもやして、貴重な毎日を憂鬱に過ごすのは、『自分を大切にすること』ではありません。

自分の好きなものは残し、『好きではないもの』はバッサリと捨てましょう。

大嫌いな『ゼイ肉』は、いつまでも身に着ける必要はありません。

食べ過ぎているごはんや、多すぎる間食、太りやすい糖質ばかりを食べていないかなど、見直せば、月日とともにヤセていくはずです。

すると、きっと『自分の中』の『何か』が変わり、使い過ぎていたお金も自然と貯まっていくのではないでしょうか。

それではまた!

本日もお越しいただき、ありがとうございました。

あなたの明日が、ステキな1日でありますように。